おそ松さんを考察解釈する為だけのブログ。

アニメ『おそ松さん』考察解釈用ブログ。思考稼働力が低いので2期リアルタイムでは追いません。のったり。

2期OP『君氏危うきに近うよれ』の解釈

全力投球の深読み、やけに強調する歌い方をされてる所は特にマシマシ全力。
OP映像の仏教要素をベースに解釈。別に自分は仏教大好きっ子でもなんでもなく抹香めいたOPから歌詞もさぞ抹香めいてるのでしょうねえ?とアテをつけただけで、こちとら「仏教」ワードで検索して表示1ページ目掲載サイトを適当に読んだレベルの門外漢、仏教の定義自体を追及するお話はご容赦。わかりやすさを追求する為に換骨奪胎うっかり骨も抜いただろってレベルで仏教用語を意訳してます、ちゃんとした仏教用語をお知りになりたい方は各自お調べください。

アニメージュ』2017年11月号のA応Pのインタビュー
A応P広瀬ゆうきさんが作詞家あさき氏に歌詞の意味を聞いた際のエピソード
「大人になった6つ子が、子供だった頃の6つ子を呼んでいるらしいです。
『危ないけど、成長してここにおいで』って。『オレたちダメ人間になってるけどね』って」 

以上の記事参照し、むつごもしくはむつごの誰かがこの歌詞の主人公と想定。ですがむつごのキャラクターイメージに引っ張られると歌詞解釈を見失いがちになったので解釈文ではあえて名前は出しません。
「俺」「おまえ」で呼称。
俺はおそ松イメージ。
おまえは限定しませんが誰か適当な松を一人想定した方が想像してもらいやすい。

 

仏教では頓悟と漸悟ふたつの悟り方がありまして。
歌詞の【トンでも】の【トン】をその一方の頓悟(トンゴ)ととらえます。

トンゴ/頓悟(努力せず即座に真理に至る)しかできない俺と、
ゼンゴ/漸悟(努力してこつこつ真理に至る)しかできないおまえの話。

 

『君氏危うきに近うよれ』OPイントロ映像は『おそ松さん』の題名が出てむつごが高所から落ちるような体制シーンからむつごのパラシュート落下シーンとなる。つまりOPが始まる直前、正確には2期開始直前までむつごはそもそも高所にいた、1期最終話で宇宙の星となったむつごは2期までずーっと宇宙の星だった。歌詞の冒頭シチュエーションは2期開始直前、むつごはまだ宇宙の星状態と想定してください。
後の歌詞解釈に関わってくるので便宜上「天上の星」と呼称。

※歌詞はFULLではなくOP準拠
※()カッコ内は用語説明。検索1ページ目に掲載されてる辞書・Wikiの引用
※文脈を繋げやすかったので本来ない箇所に意図的に題名をぶっこみ
※青字表記は原文&原文ひねり読み
※灰文字表記は直訳

【ごめんねって 素通り】【ホンネじゃあないけれど】【所詮だって そうじゃねえ?】
(意訳)
『ごめんねー?
 ひとっ跳びで天上の星になったのは、そりゃ本道でないけどさ~。
 でも結局行き着く所は同じ天上だろー?だめ?』

【ホンネじゃあないけれど】
「本音じゃないけれど」
『俺は本心からは謝っていない』
「本(当の)涅(槃)じゃないけれど」
※ホン/本(真実)
※ネ/涅槃(嫉妬や煩悩を完全に消した悟りの境地。仏教で理想とする仏の悟りを得た境地)
涅槃を天上と言いかえ、1期ラストで宇宙の星になったむつごを天上の星ととらえる。〔宇宙/天上/涅槃〕と定義。

『俺がいるのは本当の天上ではない』

【ごめんねって 素通り】
『本当の天上に至ってないのは俺がちゃんとした筋道をすっとばして天上に到達したからで』

【所詮だって そうじゃねえ?】
※所詮(最後に行きつくところ)
仏教における最高境地とは涅槃/天上に到達すること。ならば、
『でも結局天上に行き着くなら回り道しなくったって最短で至ったって別にいいだろ?』

【君氏危うきに近うよれ】
(意訳)
 君氏曰く。
『おまえ星じゃなくて星クズだろー。
 
ちゃんと星になりたいなら、天上でテッペンとりたいなら、王たる者は危うきに近寄るべし!
 地上で自己としっかり向き合って俺/星に近づいといで~!』

※君(王。君主)
※氏(同一血族の系統。敬意を表す)
「君子危うきに近寄らず」の「君子」をわざわざ「君【氏】」としている所から、敬意を表される「君氏」は子供ではなく大人だと主張。俺にとって同血族であり、王であり、大人である「君氏」。 

【危うき】とは1期でむつご達が結局成し遂げられなかった「外世界で一人立ちする」こと。すなわち自己研鑽・自己実現の探求・自己実現の成立。

※近うよれ(身分の高い者が身分の低い者に「近づいてよい」とかける言葉)。
君氏曰く。
【君氏危うきに】【近うよれ】
『ちゃんとした筋道通らず至ったから星でもクズなの。
 天上の王たる星になりたいなら、
 地上で【危うき】「外世界で一人立ち」をちゃんと実現してくれば』
『王の俺/星に近うよってもいいぜ?』

【明けて六つ 愛想ロジー】

(意訳)
 ひとつの星になったむつごが、
 宇宙(夜)から地球(陽光あたる地上)に降り立ち、再度六人に別たれた。
 そして始まる愛の研鑽学。

 『ハイハイハイまじめにやりまーす!(かぁーめんどくせー!)』

【明けて六つ】
「明け六つ」
※明け六つ〔およそ今の六時頃、卯の刻〕。
「開けてむっつ」
1期OP「はなまるぴっぴはよいこだけ」では、おそ松の顏が六等分カットされて開かれむつごが生まれるシーンがあることから同イメージ。再度おそ松さんというクズひとまとめの星が再度「開けて」「むっつ」ごが別たれる、「開けてむっつ」。

【愛想ロジー】
「愛(を)想(う)ロジー」
※愛(仏教において愛はおおまかに二種類。ひとつは根源的な欲望「渇き」「性愛」。ひとつは仏の愛「慈悲」)
※想う(相手を想う心。考える)
※ロジー(logy。「~学」などを意味する英語の接尾辞)
『愛についての研鑽学』

「愛想ロジー」
※愛想(相手の機嫌をとるための振る舞い)
※ロジー(logy。「~学」などを意味する英語の接尾辞)
『俺は君氏へのおあいそで仕方なく研鑽するふりをする』

「(愛)アンソロジー」
※アンソロジー(詩撰、歌撰、詞華集。同人誌、卒業文集も含む)
『おまえは愛をただ詠いつづる、愛の研鑽を積む』

【迷ったって本調子】【イヤミじゃあないけれど】
(意訳)
『おまえは迷走したって常に真理を外れちゃいないんだよな~、
 
おまえはいつだって本調子…いやイヤミじゃないよ?嫉妬じゃないよ!?』

【迷ったって本調子】
※本調子(本来の調子、本当の調子、物事がうまく運ぶこと)
『(真面目を装うがやる気のない俺に対し)』
『迷走してるように見えるが愛の研鑽を重ね着実に修行を重ねるおまえがちょい妬ましく』

【イヤミじゃあないけれど】
『…うんイヤミじゃないよ?と俺はイヤミを言うわけで』

【自信満々(じしんひゃく)でトンでも】【松竹梅あんだぜ】
(意訳)
「俺はさ~、前に自信満々でひとっ跳び~!で、一気に真理に到達したんだけど。
 到達にも松竹梅とレベルがあるらしいわ、努力の差ってやつ?」

【自信満々(じしんひゃく)で】
「自信満々(じしんひゃく)で」
「自身 飛躍 で」

『かつての俺は自信満々』 

【トンでも】

「跳んでも」
「頓(悟)でも」
※トン/頓悟(仏教用語。ただちに悟りの境地に達すること)
※ゼンゴ/漸悟(仏教用語。順を追って次第に悟りに近づくこと)
『一気に飛躍して頓悟!真理に到達し天上に至ったが』

【松竹梅あんだぜ】

※松竹梅(めでたい植物としての松と竹と梅。ランク付けに用いる)
仏教において頓悟と漸悟どちらが上とは言い切れないらしいが、素通りことちゃんとした筋道を通らなかったから俺は修行させられてる。この世界においては頓悟<<<<<漸悟。
『到達にも松竹梅とレベルがあるらしい。めでたく天上には至れども俺はランク最下位クズ星』

【ふらふらしてる 君でヨイ】
(意訳)
「だからさ。迷走してていいんだよおまえは。
 何度も痛い目にあってもへこたれないで努力して、
 俺はそういうお前に心奪われる」

【ふらふらしてる 君でヨイ】
「ふらふらしてる 気味で良い」
ふらふらしてる=迷走してる。
『迷走してるということはそれだけこつこつと努力してるということで』
『それは順を追って次第に悟りに近づく漸悟のやり方で』
『だからおまえの在り方は正しくて』 

「ふらふらしてる 君で酔い」
※ヨイ/酔い(心を奪われる)
『俺は、そういうおまえに心を奪われた』

【開幕 全力 一発! 装填 超 ○(ぶれいく)!】

(意訳)
「そんなおまえが俺にぶちこんでくれちゃったのはしょっぱな全力投球大極上の一発!」

 ただひたすらな、慈悲の愛。

「超極限の愛に至ったおまえは
 地上にありながらテッペンとって星と成ってくれちゃって」

開幕 全力 一発! 装填 超 ○(ぶれいく)!
「開幕 全力 一発!装填 超 ○(弾)!」
「開幕 全力 一発!そう 天上 ブレイク!」
※ぶれいく/ブレイク(急に人気が出ること)
開幕とは本編始まって間もないタイミング。
〔一発〕〔装填〕ワードから〔○〕を弾ととらえ、「おまえがすんごい弾を装填して全力投球一発ぶちかまし、天上に超でっかい穴をぶちぬいた」すなわち
『こつこつ努力し愛を研鑽していたおまえがついに極限に辿り着いた。
 己の愛を磨きぬき超極限まで到達させた、真理に至った、天上をぶちぬいた。
 地上にありながらおまえは星と成った』
『仏教における最上の愛、それすなわち、慈悲の愛』
『俺もそいつにぶちぬかれて』

※慈悲(いつくしみあわれむこと。仏・菩薩が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと)

【刻(とき) まつばかり】
(意訳)
「俺はその慈愛の施しを待ち焦がれて、
 もう「松」にしか目がいかないありさまで。
 ただその輝かしい姿ばかりが己に刻まれて」

【刻(とき) まつばかり】
「時(とき)待つばかり」
「斎(とき)待つばかり」
※時(時間)
※斎(法要・仏事に出す食事)
『俺は斎を、おまえの慈愛の施しが与えられる時を、いまかといまかと待つばかりで』

「刻(とき)松ばかり」  
※刻(刻む)
松ばかりでおめでたいばかり。
『松竹梅の松に至った「松」、その輝かしい姿ばかりが俺に刻まれて』

【あいまい ふわりは 最小限】
(意訳)
「決めた。俺はおまえを愛する。おまえを目標にする」

【あいまい ふわりは 最小限】
「愛 my ふわりは 最小限」 
愛 my/俺の愛
ふわり/真理に到達する為の飛躍。
今までの俺は天上の星を到達点として大跳躍を目論んでいたが、これからはすぐ側にいるおまえを到達点として跳躍する!つまり最小限のふわり/跳躍、と宗旨替え。
『俺の一番側にいるおまえを、俺が到達すべき姿とし、俺が到達すべき真理とし』
『俺はおまえを愛しぬくと決めた』

【対面 透明は はなもせに】
(意訳)
「おまえと真正面から向き合う。他の女には目もくれない」

【対面 透明 は】
「透明は」
※透明(透き通って濁りのないこと。またその様)
※色即是空(仏教の根本教理。万象は形をもつがその形は仮のもので、本質は空であり不変のものではない)
透明/透き通った「空」。
『真理に至ったおまえは万象/俺の全て、空/俺の目指すべき本質、俺の根本であり教理となる』

「対面」
「対 men to me は」
※対面(互いに向き合うこと)
※men(男性)
おまえはmen、俺はme。
対 men to me/おまえと俺が互いに向き合う。
俺はおまえと真正面から向き合って前後(ゼンゴ)となる、トンゴ人間はゼンゴ人間になりたいと決意。
『俺は、そんなおまえと全身全霊で対峙していく』

【はなもせに】

「花も 背に」
花/女
背に/背を背ける
花も背に/対 men(男性) to me の表現とかけて、女色を絶つ。
『俺は、女には目もくれない』

【つれずれ いつだって 総集編】【当然と 言えた】
(意訳)
「ちょい立ち位置のズレてる俺ら。
 いつだってそう、おまえは俺の側にいる、それは当然のことで。
 それは心地よく、いつだってすっげえ癒されてさ」

【つれずれ】
「徒然」
「連れ ズレ」
※徒然(「連れ連れ」で長く続くさま。思い続けるさま)
※つれ/連れ(いっしょに行くこと。同伴者。因縁)
※ずれ/ズレ(位置が基準から少しはずれた状態)
俺を基準として、常にちょいズレた位置にいるおまえ。
『生まれた時から因縁関係、兄、弟としてある俺等』

【いつだって 総集編】
「いつだって 総集編」
※総集編(土壇場しのぎ。バラエティ、ドラマ、アニメなど制作陣がひと休みする為の回)
『いつだって遊んでたようなもんで』
「いつだって そう 周辺」
※周辺(あるものの近く)
『いつだって俺等は側にいて』

【当然と 言えた】
「当然 と 言えた」
「陶然 と 癒えた」
※陶然(酒に酔ってよい気持ちになる様。うっとりとよい気持ちである様)
『それは当然のことで』
『それはとても心地よくて俺はいつだって癒されて』

【少年 おまえは思ったより】【曖昧透明で ふちのなし】
(意訳)
「なあ。おまえは思ったよりずっと頼りになるやつで。
 おまえがおまえ自身を愛すれば愛する程、そりゃおまえが俺を愛してくれることと同義でさ。
 おまえが俺にくれた愛はホント純粋で底なしで」

【少年 おまえは思ったより】
「少年 おまえは思ったより」
「少年 おまえは 思う 頼り」 

※少年(年が若い人)
『弟よ、おまえは思ったよりずっと頼りになるやつで』

【曖昧透明で】
「曖昧 透明 で」
「愛 my to me で」

「I my to me で」
※曖昧(確かでないこと。ぼやけていること。またその様。あやふや)
※透明(透き通って濁りのないこと。またその様)
『曖昧。常に迷走しスタンスが定まらずの流転、それこそが万象の在り方であり』
『透明。空の在り方である』
『そんなおまえの』
愛 my to me/自分から自分への愛、自己愛。my・meはおまえ。
『自己愛は。おまえがおまえを愛することは』
I(愛)my to me/「俺はおまえで、おまえは俺」一卵性兄弟である俺等なので、I・my・meはおまえと俺で互換可能。この場合の、I(愛)・myはおまえであり、meは俺。
『おまえが俺を愛してくれることとおんなじで。おまえの自己愛は俺への他者愛と同義』
『おまえの自己愛の在り方はなんとも曖昧で透明で』

【ふちのなし】
「縁 の なし」
※縁(物の端の部分)
『境がない。そして、限りない』

【ぱやぱや】【いつだって再挑戦】【当然と 知った】
(意訳)
「俺はそんなおまえだからこそ愛してる。
 俺はそんなおまえみたいになりたい。
 一生叶わないかもしれない恋/夢だよ、
 でも叶えようとひたすら努力、いつだって再挑戦するのが当然。
 そういうおまえの在り方にな、叱咤されたんだわ。励まされたんだわ」

【ぱやぱや いつだって再挑戦】
「ぱやぱや いつだって再挑戦」
※ぱやぱや(歌謡曲恋のフーガ」「想い出の九十九里浜」に使われるフレーズ。どちらも叶わない恋の歌)
『そういうおまえを想うのは一生叶わない恋/夢、かもしれないが
 おまえは夢を叶えようと常に迷走しちゃ繰り返しの努力するやつで、
 俺はそういうお前に成りたいのだから、
 俺はそれに倣って何度でも再挑戦。ダメでも何度でも再挑戦』

【当然と 知った】
「当然と 知った」
「陶然と 叱咤」
※叱咤(大声で叱ること。大声で励ますこと)
『いつだって努力。頓悟より漸悟と叱られた、
 それが当然だとおまえの在り方に俺は知らされた。
 そうやって至ったおまえの在り方に俺は励まされた』

【いつまでだって トンでるぜ】【ぷろぺら無しで 余裕と言える】
(意訳)
「いつまでだって追い続けるぜ?
 無職上等エロなし上等で追っちゃうぜ~!
 だっておまえに常に愛されてるんだぜ癒されてるんだぜ俺!」

【いつまでだって トンでるぜ】
「いつまでだって 跳ん でるぜ」
「いつまでだって 貪 でるぜ」
※トン/貧(仏教用語三毒の一つ。対象を追い求める心。貪愛。貪欲)
『俺は、おまえに成れるまで、おまえに到達するまで、何度でも跳び続ける』
『俺は、いつまでもおまえを追い続ける』

【ぷろぺら無しで】
「プロ 無しで」
「プロ ぺら(紙幣なし職なし) 無しで」
「プロ ぺら(色なし) 無しで」
※プロ(本職。くろうと。ある物事を職業として行いそれで生計を立てている人)
※ぺら/ペラ(紙幣)
プロ 無し/星のプロこと天上の星標榜から宗旨変えしたので、これから俺は天上の星の加護なし
プロ ぺら(紙幣なし職なし)無し/プロの金なし、すなわち、プロの無職
プロ ぺら(色なし)無し」/プロの金なしプロの無職こと無色、色無し。すなわちイロなし・エロぬき・性欲ぬき。
『天上の星の加護がなくとも』
『天上の星からの施しがなくとも』
『天上の星からのお仕事がなくとも』
『エロがなくとも』

【余裕と 言える】
「余裕と 言える」
「余裕と 癒える」
「Yo You to yell」
※言える/イェル/yell(宣言)
Yo You to yell/Youは天上の星。天上の星に宣言。
『俺は「余裕」と言える』
『天上の星に宣言できる』
『だって俺はおまえにいつまでも愛され続ける、癒され続けるから』

【いつからなんて聞きなさんべ】【かんぜんなんざあないぜ おそまつさん】
(意訳)
「ん?俺がこんな風になったのいつからなんて聞かないでよ~照れるじゃん!
 夢の探求に終わりはない、叶わないかもと恐れるべからず、悪いことなんてなーんもないだろ?
 なあ、おそまつさん!」

【いつからなんて聞きなさんべ】
「いつからなんて 聞きなさんべ」
「いつからなんて 聞きな son baby」
※さん/son(年上の者が年下の男に呼び掛けとして若者。君)
※べ/baby(好きな人、愛人、恋人。(親しみを込めて) ねえお前。少年、野郎)
son baby/ベイビー呼ばわりする位の愛する弟。
『俺がこんな風になったの「いつからだ?」なんて改めておまえに聞かれるとこっぱずかしいわ!』


【かんぜんなんざあないぜ】【おそまつさん】
「完全 なんざあないぜ」
「敢然 なんざあないぜ」
「間然 なんざあないぜ」
※敢然(困難や危険を伴うことは覚悟で思い切って行うさま)
※間然(非難や批判されるような欠点のあること)
『完全はない。夢の探求に終わりはない、自己探求に果てはなく』
『敢然はない。果てがないことを、到達できないかもしれないことを、もはや恐れることもなく』
『間然はない。この在り方を非難されるようなことは何もない!』


【おそまつさん】
「おそまつさん」
おそまつさん/同血族であり、王であり、大人である「君氏」への敬称
『そう、俺は君氏に宣言する!』 
「お粗末さん」
『俺の話はこれでおしまい。お粗末さん!』


 

 ■意訳まとめ

 ごめんねー?
 ひとっ跳びで涅槃に至ったのは、天上の星になったのは、
 そりゃ本道でないけどさ~
 でも結局行き着く所は同じ天上だろー?だめ?

『星じゃなくて星クズだろー。
 ちゃんと星になりたいなら、天上でテッペンとりたいなら、
 君主たる者は危うきに近寄るべし!
 地上で自己としっかり向き合って俺/星に近づいといで~!』

  かつて星クズになったむつごが
  宇宙(夜)から地球(陽光あたる地上)に降り立ち、
  再度六人に別たれた。
  そして始まる愛の研鑽学。

 ハイハイハイまじめにやりまーす!(かぁーめんどくせー!)

 おまえは迷走したって常に真理を外れちゃいないんだよな~いいよな~、
 おまえはいつだって本調子…いやイヤミじゃないよ?嫉妬じゃないよ!?

 俺はさ~前に自信満々でひとっ跳び~!で、一気に真理に到達したんだけど。
 到達にも松竹梅とレベルがあるらしいわ、努力の差ってやつ?
 だからさ。迷走してていいんだよおまえは。
 フラフラになってもへこたれないで努力して、
 俺はそういうお前に魅かれる。

 そんなおまえが俺にかましてくれちゃったのはしょっぱな全力投球大極上の一発!


 ただひたすらな、慈悲の愛。


 超極限の愛に至ったおまえは
 地上にありながらテッペンとって星と成ってくれちゃって。

 俺はその慈愛の施しを待ち焦がれて、
 もう「松」にしか目がいかないありさまで、
 その輝かしい姿ばかりが俺に刻まれて。

 だから決めた。俺はおまえを愛する。おまえを目標にする。
 おまえと真正面から向き合う。他の女には目もくれない。

 ちょい立ち位置のズレてる俺ら。
 いつだってそう、おまえは俺の側にいる、それは当然のことで。
 それは心地よく、いつだってすっげえ癒されてさ。

 なあ。想像以上におまえは頼りになるやつで。
 おまえがおまえ自身を愛すれば愛する程、そりゃおまえが俺を愛してくれることと同義でさ。
 おまえが俺にくれた愛はホント純粋で底なしで。

 俺はそんなおまえだからこそ愛してる。
 俺はそんなおまえみたいになりたい。
 一生叶わないかもしれない恋/夢だよ、
 でも叶えようとひたすら努力、いつだって再挑戦するのが当然。
 そういうおまえの在り方にな、叱咤されたんだわ。励まされたんだわ。

 いつまでだって追い続けるぜ?
 無職上等エロなし上等で追っちゃうぜ~!
 だって俺はおまえに常に愛されてる、癒されてるんだ!

 ん?俺がこんな風になったのいつからなんて聞かないでよおまえ~照れるじゃん!
 夢の探求に終わりはない、叶わないかもと恐れるべからず、悪いことなんてなーんもないだろ?
 なあ、おそまつさん!

 

お疲れ様です、歌詞解釈はここまでです。
解釈についてまだ長い講釈たれますがここまで読んでくだされば御の字。ありがとうございました。
物好きな方はお付き合いください。


仏教の愛はおおまか二種類。
ひとつは根源的な欲望「渇き」や「性愛」。ひとつは子に対する親の愛が純粋であるように一切衆生に対しそのような愛情を注ぐ「慈悲」。修行で滅却すべきが「渇き」「性愛」、修行で実行できるようになるべきが「慈悲の愛」、与えられる愛から与える愛へのスタンス移行が到達への道。

 これを〔渇き・性愛=自己愛〕〔慈悲=他者愛〕と言いかえて。

 おまえに嫉妬してイヤミを言うような自己愛中心の在り方だった俺が、おまえに愛され癒されたことによりおまえを愛するようになる。俺に愛されるおまえは俺によって癒される、俺は自己愛中心の在り方から他者愛中心の在り方となる。俺は愛の研鑽学を修めた。嫉妬・性愛・渇きを滅し慈悲の愛を与える安楽の境地に至った。俺の台詞の変容からそれが伺える。俺がきちんと悟りの道筋を辿り到達する構成になっています。

また解釈の要約をすれば。
天上の最高バカになりたい天上の最低クズが、天上の最高バカに修行してこいと強制勘当されて地上に落ち、
めんどくせーなーじゃあどうやったら天上の最高バカになれるの?と悩んでたら同じ最低クズの兄弟が地上の最高バカになってそれがとても輝かしくサイコーな姿だったから「天上の最高バカ目指すのやめた!俺も地上の最高バカになりたい!俺も同じ最低クズの兄弟方式で地上の最高バカ目指すー!」とそれは楽しげに地上の最高バカ教に宗旨替えした、という話。俺は目指すべき自己を定めた。

外世界で自己探求し、愛の研鑽学を修め、目指すべき自己を定め、目指すべき自己に到達こと自己実現する為に自己研鑽を誓う。このスタンスこそがひとつの悟りであり到達したということ。最低クズは悟りを得て精神ステージをひとつ上がったということです。

 

つまり地上の最高バカに宗旨替えした外道の在り方こそが実は天上の最高バカに至る為の正道であった。地上の最高バカになればそれはクズの兄弟がやった「天上ブレイク!」こと天上の最高バカに到達することと同義だから。

しかし地上の最高バカを目指し研鑽を積み上げても、いずれ最低クズはギリギリで地上の最高バカになれずに迷走する、最初は天上の最高バカを目指して成れなかったように。

そしてその果てに新たな悟りと到達を得て次のステージに上がる。その繰り返しの輪廻。悟りと到達は何度でも繰り返すが「最高バカになりたい!」という自己実現はどのステージでも果たせない。それでもくじけず自己研鑽【いつだって再挑戦】、到達と迷走を何度も繰り返しその度にステージを上げて上げて上げていつかはてっぺん。自己実現達成して「天上の最高のバカ」に。

何度も絶頂に達しそうになってもダメになる。いつくるかわからない絶頂の為に何度でもトライ。マゾい在り方です。てっぺんぎりぎりまで点棒積み上げ最後に瓦解、いつもそういう麻雀を打ってるらしい、1期麻雀回『オーラス知らずのおそ松』まんまのありかた。


さて、まだまだ最低クズは最高バカに届かない、しかし研鑽を重ねればいつか最低クズは天上の最高バカになる、俺は君氏となる。君氏は未来の俺像である。君氏は俺である。

〔君氏=俺〕同一人物である。

文章レトリック上のあそびでありますが。
最低クズである俺が最終到達した姿が天上の最高バカの俺とするならば、

※大人(成長して一人前になった人。一族・集団の長や、年配で、主だった人)

天上の長であり大人になった俺が、未熟な俺を下界へぶちおとしたことになる。『危ないけど、成長してここにおいで』と。君氏は天上こと涅槃の長、すなわち、仏に相当。そして仏とは時間も空間も超えたいわゆるメタ存在なので最低クズと同時空に存在できる。

 

そして2期OPラスト映像に赤塚センセー大仏がおわしますでしょう。君氏も仏。つまり、赤塚センセーでもある。最低クズが目指す最終地点はおそ松世界構築者であり神である赤塚センセーでもある。『てめぇが一番バカになればいいの』とかつて発言された赤塚センセーは間違いなく最高バカであり、俺ことおそ松は、今は涅槃におわすであろう赤塚センセーを目指しいずれは到達する。そうして赤塚センセーより生じたおそ松は赤塚センセーと一体化し赤塚センセーに還る。

空となる。

おそ松さんwith仏教。

という結論でこの解釈の〆とします。


あ、おまえは誰でもいいんじゃないかなー。

 

正道から外道に至ったと思ったらそれこそが正道への道で、そうやって迷走し違えながらも何度でも到達を繰り返し輪廻を重ね、嫉妬や執着からときはなたれ輪廻からときはなたれた【解脱】涅槃世界を目指し、涅槃にて最高理想像の自分と成る。表現はポップでふまじめでともすれば倒錯的で、でも、まじめな仏教徒こと赤塚センセー教徒の話。

この解釈だと1期ラストオチのむつごは意図的に宇宙の星(クズ)こと天上の星(クズ)になったということになりますな。まあ自分なりの今までの本編解釈を意識はしてますがこの歌詞に関しては
歌詞解釈と本編内容と関係あるかは正直どうでもいい。
ひねくれうがった上で、一応一貫したストーリーになる解釈ができたしダブルミーニングどころかトリプルミーニングまで深読みできたから満足です。あさき氏の歌詞は想像が膨らんでヨイのです。松竹梅あたりはまだイジれそうだが思いつかなかった。

 

冒頭でも言いましたが、「仏教」ワードで検索して冒頭ページ読んだ程度の浅学です。
その他の用語も知識も全てその程度の理解でしかありません。
色々間違ってたら各方面にごめんなさい。